弁護士報酬敗訴者負担制度に関するNU東京の見解 NU東京は2003年8月28日に開催された第6期第10回執行委員会で、以下内容の「弁護士報酬敗訴者負担制度に関する労働組合としての意見」をまとめ、同月29日付で司法制度改革推進本部に送りました。 2003年8月29日 司法制度改革推進本部事務局 「弁護士報酬敗訴者負担」意見募集係 御中 労働組合ネットワークユニオン東京 執行委員長 河野 巌 「弁護士報酬敗訴者負担」制度に関する労働組合としての意見 私たちは、中小零細企業で働く労働者を中心に組織された労働組合です。所属会社にとらわれず1人でも加入できる、所謂「合同労組」の組織形態をとっています。現在、120名ほどの組合員が在籍しており、それぞれの職場にあって雇用主企業との間で、安定した労使関係の実現、労働条件向上、就労環境改善を目指して交渉を持ち、或いは、争議の状態にあります。 私たちは、労働事件における弁護士費用の敗訴者負担制度の導入に反対します。 現在導入が検討されているこの制度は、憲法第32条に保障された、国民の裁判を受ける権利を制限する懸念があります。 刑事裁判においては、お金が無ければ国選で弁護人がつきます。どんな人にも法廷で十分に自らを弁明し、権利を守ることを保障されているのです。一方、争いのある当事者同士で決着のつかない問題について、司法による事実認定と判断を求めるのが民事裁判ですが、この弁護士費用の敗訴者負担制度が導入されますと、敗訴することは罰金刑の宣告に等しくなります。 自分の立場や考えを自由に法廷で述べるのに、各自費用を負担することは吝かではありません。しかし、敗訴することで相手の弁護士費用まで負担しなければならないというのは、自分の意見を述べる行為そのものが、そもそもあってはならない不正だったのではないかとの、過当な自省を促し、市民をますます司法へのアクセスから遠ざけてしまうことになりはしないでしょうか。 労働法制は近年矢継ぎ早に改正されています。雇用の流動化が激しくなり、労働現場は法改正を追い越す勢いで大きく変化しており、新たな状況を踏まえた判例の蓄積が、労使双方にとって必要な時期でもあります。この制度の導入によって、無駄な訴訟は抑制されるでしょうが、必要な裁判までもが、果たして躊躇されて良いのでしょうか。 現在の弁護士報酬規定には下限が定められているのみで、上は“青天井”です。自分が依頼した弁護士の費用を払うことだけでも、当事者の生活設計にとって予定外の出費となる上に、相手の(時に複数の)弁護士費用が幾らになるか予測もつかないという状況に置かれることは、所謂サラリーマン世帯にとって、酷であります。出口の見えない不況下、賃上げもままならず、住宅ローンや教育費、老後の蓄えのために、爪に火を灯すような日々をおくっているのが、現在の日本の給与生活者の実態です。 特に労働問題の訴訟において労働者(被雇用者)が雇用主を訴える場合、もとより圧倒的な力関係の差が存在します。会社の経費で裁判をする立場と生活費を割いてその用に充てなければならない立場が、対等平等であるはずは無いのです。仮に雇用関係が存続していても、生活の糧の源である雇用主が、係争中にその労働者を経済的に厚遇することはあり得ず、労働者は常に経済的不安定、不利な状況に置かれます。まして、解雇された者がその職場復帰を求めて争う場合には、暫定的に別の収入源を確保しつつ、場合によっては借金までして裁判を争わねばなりません。「解雇は不当である」と主張し続け、元の職場に戻ることを望む限り、他からの長期安定収入の機会は放棄されます。 勝訴し、バックペイなどが贖われたとしても、本来解雇されていなければ失うことの無かったはずの利益が完全に回復されることは稀です。たとえ勝訴しても、経済的な損失が大きいことも多々あります。これが敗訴者負担となった場合、被雇用者が雇用主を訴えるのは、即ち自分と家族の人生を大バクチに巻き込むことを意味するでしょう。パートや派遣の非正規雇用労働者に対して、司法の門戸は閉ざされることになります。 また、労働裁判では労働者側の勝訴率が高いので、敗訴者負担でも問題は無いはずだと言われますが、それも労働者の現状に対する理解を欠くものです。何故勝訴率が高いのか? それは、誰が見ても十中八九勝てそうな案件しか提訴しないからです。見込みが五分五分程度で、獲得可能な利益が自分の弁護士費用と訴訟費用にペイしそうもなければ、裁判を起こす前に諦めて、泣き寝入りしているのです。提訴に到ったものでも、長期化する裁判の過程で、経済的困難が原因で、不本意な和解を了承することも多いのです。敗訴者負担制度の下では、和解の水準が低下し、労働者にとって不利になることは火を見るより明かではないでしょうか。 加えて昨今の論議の中で、労働組合は使用者と対等であるから、敗訴者負担制度になじむとする傾向があるとのことですが、これも非常に現実離れした考えです。 現在訴訟当事者となっている労働組合の多くは、経済的基盤の脆弱な個人加盟合同労組や、小人数の組合員によって成立している労組で、前述したような非正規雇用労働者、職場内に労働組合を持たない中小零細企業の従業員を中心に構成されています。個別の労働者による訴訟と同様に、これらの労組と使用者との経済力の格差は、歴然として存在するのです。また、労働組合が訴訟を起こす状況というのは、永きに亘って使用者からの不当な扱いを受け続け、既に大きな不利益を蒙っている場合が殆どです。敗訴者負担制度が導入されれば、このような小規模の個人加盟労組や中小零細企業の中にある企業別労組は、年間予算も立たず、組織の存続自体が脅かされることになります。闘争資金が潤沢で、比較的労働条件に恵まれた大企業の労組にしか訴訟が提起できなくなるとしたら、団結権は偏在してしまいます。勤労ということが、等しく全国民に課せられた義務である以上、団結権と労組による訴訟行為も、平等に確保されるべきものであるはずです。 諸外国のように、独立した司法機関としての労働裁判所が無い現状で、労働者が裁判に関わることは、既に困難と不安を伴うものです。この上、弁護士費用を敗訴者が負担することになれば、労働者にとって敗訴することは生存権に対する脅威となります。司法の判断を仰ぐことは、生命を削って挑戦する冒険でなければならないのでしょうか。 判例は、訴訟が提起されなければ蓄積されません。豊富な事案、判例があってこそ司法への信頼は増すものです。経済的不安を理由に、司法へのアクセスが減少すれば、それはやがて、司法制度そのものの貧困、枯渇を招くでしょう。これは先人の教訓を蔑ろにし、後世の可能性を否定するものです。弁護士費用の敗訴者負担制度を、特に労働問題(労働組合の関係する訴訟を含めて)について、絶対に導入するべきではありません。 今回の改革が、拙速の謗りを蒙ること無く、大所高所の観点に立ち、且つ“血の通った”ものとなりますよう、切望する次第です。 以上 |